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2006年3月

2006年3月21日 (火)

2006年OB会「初蹴り」豚汁付き

豚汁の準備にかかりきりだった父母会のお母様方(写真ありません、残念!)、ありがとうございました。OBのお父さんと一緒に参加してくれたジュニアたち、上手かった。FC東京の本吉コーチや明治大学サッカー部の神川監督の目に留まったかな。総数100名を超える参加の中で無事終了する事が出来ました。今後もこの盛り上がりを続けたいと思っています。写真をもっと撮りたかったのですが、カメラマンも選手?の為少なくてすみません。現役の鎌高健児、元健児の雄姿をご覧ください。参加できなかった方々次回はぜひ参加を。

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新OB歓迎会、OB総会無事終了,そして対小田原高校各年代対抗戦 2003/03/23

鎌高大会議室において、新OB歓迎会、OB総会が無事終了致しました。今年度は、現役が試合のため新OBを含めたOBだけの総会。特に来年は、鎌高サッカー部の50周年にあたる年です。50周年の記念行事を行うことを決定しました。ご要望、アイデアのある方がいらっしゃいましたら掲示板で発言してください。その後グランドへ降りて下記のスケジュールで対抗戦。すべての試合で鎌高は勝利いたしました。特に、40代対抗戦では、OB会長「石曽根 清次」昭和48年卒の見事な左足ミドルシュートがゴール左上に決まり、大フィーバー。この1点を守りきって勝利(15分×3本)いたしました。本当に楽しい1日を過ごしました。来年はさらに多くのOBの参加を待っています。
11:00鎌高現役(A)対小田高現役(A)
12:30鎌高(新OB)対小田高(新OB)
13:30鎌高(40代)対小田高(40代)
14:30鎌高(30代)対小田高(30代)
15:30鎌高(20代)対小田高(20代)

写真説明
左写真「歓談しながら出番を待つOB諸氏」  中写真「歓談しながら出番を待つOB諸氏」  右写真「歓談しながら出番を待つOB諸氏」

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新OB歓迎会、OB総会無事終了 2002/03/24

鎌高大会議室において、新OB歓迎会、OB総会が無事終了致しました。新OBおよび現役の爆笑の内の自己紹介。

超OBからのキツイお言葉。まだまだ鎌高はガンガンいきマッセ!!その後、グランドでOB対現役、超OB+新OB対現役、のマッチ。

50代、60代の「超OB」も現役に負けずと走りまくりました。現役高校生相手(手を抜いてくれたとはいえ)に前後半合わせて40分。最後に現役の整列挨拶を受けて超OBは意気揚揚と、(実はフラフラと)グランドを後にしたのでした。

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「祝」 鎌高ダービー

2001/Jリーグ開幕試合
湘南ベルマーレVS横浜FC
湘南No6堀孝史(S61卒) VS 横浜No6公文裕明(S60卒)
3月10日・土曜日・平塚競技場・14:00Kickoff

堀、負傷中との情報もあり
「鎌高ダービー」の大旗を持って、いざ、平塚へ

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「昭和43年卒  深 田 修」
「昭和45年卒  松 野 信 和」

神奈川県代表,石川県代表を勝ち取る。負けるな現役。

文=昭和43年卒  深 田 修

第13回全国スポレク祭に参加してきました。
9月30目~10月3日まで石川県金沢市で行われた「全国スポレク祭・壮年サッカー大会」に神奈川県代表で参加してきました。上記大会は、50歳以上の人が中心で、一部40歳代の人を交えたチーム構成で参加するもので、勝負よりも友好・楽しみを優先させた大会です。

今大会では沖縄県代表・広島県代表・岐阜県代表と試合をしてきました。結果は1勝2敗でもう一息だったのですがとても楽しい大会でした。また、金沢在住の「S45年卒松野君」と久しぶりに会いました。彼もまた石川県代表として大会に参加しており対戦こそしませんでしたが、応援に駆けつけてくれました。夜はおいしい料理とお酒でサッカー談義に花が咲き、とても楽しいひと時を過ごしました。

写真説明
上写真「得意のポーズ、深田修」  中写真「左、松野信和。右、深田修。」  下写真「深田修の神奈川県代表チーム」

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第17回かながわ県ゆうあいピック大会にボランティア審判として参加して

 これ以上無い、スポーツ日和の一日、ボランティア審判としてサッカーを楽しませて頂きました。ありがとうございました。私は毎週、小学校でサッカーコーチをしています。知的障害者という大会のためそのような観点からの感想が多いと思いますが、私は、サッカーのことしか分かりませんので、サッカー技術に対してだけ感想を記させていただきます。

さて、開会式が終わり、ボランティアの3人だけで一つの会場を運営から審判まで担当するとのこと。「えっ」と思うまもなく試合を開始しなくてはなりません。世話役の方々は、それこそあちこち飛び回っています。やはり、ボランティアの数は圧倒的に不足していることを実感しました。

一緒に会場を担当させて頂いた審判は、ボランティアの経験が豊富で、副審のフラッグやメンバー表などこまめなことに気を使っていただいた仮屋さん、二級審判としての実力を見せていただいた三瓶さん。圧巻だったのは、オフサイドの笛の後、ゴールに向かってキックした選手に対して、毅然としてイエローカードを出した姿でした。私は、「ルールを知らないのじゃないか」などと選手に対して失礼な考え方をしていたのですが、サッカーの真髄である紳士的プレーをキッチリ示した素晴らしいジャッジでした。その選手は、二度とこのような「反スポーツ的行為」をしないでしょう。そのような行為をする仲間をたしなめることだと思います。

私達は、Bブロック(Aブロックが一番強いとのことです。Cブロックまでありました。)を担当させていただいたのですが、サッカー技術については、相当練習を積んでいるという印象でした。とくにサイドプレーヤーには足の速い選手が多く、その突破力は見事なものでした。ただ、その後の、センタリングが上手い選手があまり見当たらず、今後はこの技術向上が課題ではないかと思います。シュート力も素晴らしいものがありましたが、それにもましてゴールキーパーに実力のある選手が揃っており、試合の緊張感を演出していました。一点で試合が決まることが多く、審判にとっても集中力が要求される大会でした。選手のプレーに対する集中度は高く、後ろからの悪質な反則や、手を使う汚いプレーがまったく見られなかったことには驚かされました。得点を入れた選手のパフォーマンスはJリーグ以上で、個性豊かな自己表現は、外から見ているひとたちをも喜ばせてくれます。試合の相手は「敵」という憎むべきものではなく、サッカーという競技ルールの中で自分を表現しあう、パートナーだと解らせてくれる、純粋なスポーツ世界を見せていただきました。

表彰式も終了し、グランドを見下ろす土手の上に止めた車の横で靴を履き替えていた時。準優勝チームのユニォームを着た少年が近づいて来ました。少年の視線の先には、先ほどから私の横でグランドを見下ろしていた人が。きっと少年の父親なのでしょう。

我々の指導している少年選手達はおしゃべりです。負けずに父親も饒舌です。まして、準優勝でもしたら。子供は自分がどんなに活躍したかを話します。父親も子供の活躍を誇らしげに語ります。そして、新しいスパイクや有名チームのユニフォームのご褒美を買いに意気揚揚と出発するのです。それは、それで、ほほ笑ましくていいのですが。でも、この日の少年と父親は、いつも見ている光景とは違っていました。

近づいてきた少年は、はにかんだ笑顔で父親に話し掛けます。「オワッタ」一歩前に出た父親は答えます。「ミテイタゾ」そのまま二人は、樹木のように動かなくなりました。父親の目に我が子は、オリンピックやワールドカップの選手以上に頼もしく誇らしげにうつっているに違いありません。そのまま二人は言葉を交わす事無く、父親は、恥ずかしそうに父の顔を覗き込む少年をせきたてて、静かに歩み去っていきました。誇らしげに、肩をゆらして。 初夏の風のように清清しい一日は、チョットした筋肉痛を伴って終わりました。関係者の皆様に心からお礼申し上げます。そして副審を担当してくれた藤沢工業高校サッカー部の選手の皆さん、ありがとう。

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神奈川県ゆうあいピックに審判として参加

Yuuai_1 2000年6月4日の日曜日、第17回神奈川県ゆうあいピック大会のサッカー競技の部に審判として、”S45卒、北田尚哉”が参加しました。その報告です。

神奈川県ゆうあいピック大会とは

目的、
神奈川県内の知的障害者が、スポーツ活動の場に集い、家庭、学校、施設、職場等で日ごろ鍛えた心と身体を、互いに発表しあうことにより、心身の健全な成長とたくましさをさらに高め、力強く社会参加の意欲を培うものとする。また、本大会を開催することにより、知的障害者への理解を高め、ノーマライゼーションの促進を図る機会とする。
主催
神奈川県知的障害者スポーツ振興協議会
財団法人・神奈川県教育福祉振興会
財団法人・神奈川県教育会館

後援
神奈川県、藤沢市、大和市、神奈川県教育委員会、日本赤十字神奈川支部、神奈川新聞社、朝日新聞横浜支局、毎日新聞横浜支局、読売新聞横浜支局、NHK横浜放送局、TVKテレビ、ほか多数

協議運営協力団体
神奈川陸上競技協会、神奈川水泳連盟、神奈川県バスケットボール協会、神奈川県サッカー協会、藤沢市サッカー協会、その他(県内の高校、大学、ボランティア団体など多数)

会場
神奈川県立体育センター
大和市営大和スポーツセンター
ほか

というように、大変大きな大会です。内容については主催者へ提出した「感想文(加筆あり)」を見て欲しいのですが、スポーツの原点を見つけたと思えるほど感動でした。でも、人手はまったく足りません。湘南高校はサッカー部OB会として数名が参加しています(OBに養護学校の教諭がいるのですが)OB会活動の一つとして「県鎌倉サッカー部OB会」でボランティア参加が出来無いか、と思っています。

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2000年度高校総体神奈川県予選鎌高出身監督の活躍

鎌高は「2000年度高校総体神奈川県予選」に4回戦で二宮高校に敗れてしまいましたが OBの指導する下記の高校が5回戦まで進みました


S51卒 高木亮が指導する「神奈川県立大原高校」

4回戦大 原1-0柏 陽
5回戦厚木北1-0大 原

S48卒 小柴健司が指導する「神奈川県立逗葉高校」

4回戦逗 葉2-0城北工
5回戦桐蔭学園3-0逗 葉

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OB総会及び新OB歓迎会のお知らせ

恒例となりました我が鎌校サッカー部OB会の新OB歓迎会、総会、親善試合を企画いた
しました
春の一日、過ぎし日の思い出を語り合いましょう。ご多忙中とは存じますが万障お繰り合
わせの上ご参集ください。

日時   平成12年3月19日 日曜日
       12:00より
総会   12:00鎌倉高校 国際理解ホール(旧図書館)
親善試合 鎌校グランド
     13:00  現役試合(対戦相手未定)
     14:30  鎌校OB四十雀 (対戦相手未定)
     15:30  若手OB 対 現役
お願い
当日出席できない方は、下記口座へ会費をお振込みください
横浜銀行 片瀬支店 (普通)1095421
     鎌倉高校サッカー部OB会 会長 石曽根清次
     社会人 5000円  学生 2000円

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鎌倉高校OB会役員

会 長
加藤 元治   (S32卒)

副会長
豊島 亜彦   (S35卒)
吉村 昭三   (S36卒)
石曾根 清次 (S48卒)

幹事長
深田 修    (S43卒)

副幹事長
北田 尚哉   (S45卒)(HP・名簿担当)
高木 亮     (S51卒)
神原 勇人   (S55卒)

会計
前橋 勇     (S54卒)

会計監査
深沢 隆史   (S41卒)

幹 事
浜野 正明   (S41卒)
大関 路将   (S43卒)
荻原 洋子   (S43卒)
遠見 亨     (S51卒)
大塚 真実   (S56卒)
本吉 剛     (S61卒)
菅原 圭也    (S61卒)
宮代 保之    (H  2卒)
石原 通治    (H  2卒)
桜井 健丞   (H12卒)

事務局
神奈川県立鎌倉高等学校 サッカー部内

248-0026
鎌倉市七里ガ浜2-21-1
TEL 0467-32-4851

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2006年3月20日 (月)

各界からの祝辞、提言

1994年(平成6年)6月26日、湘南ホテル(神奈川県藤沢市片瀬海岸)に於いて、我ら鎌倉高校サッカー部OB会の創部40周年を記念する「式典」及び「レセプション」が盛大に開催されました。この模様については別の項で写真など掲示するつもりでおります。このとき記念式典プログラムを兼ねて、「神奈川県立鎌倉高校サッカー部創部40周年記念誌」が発刊されています。この記念誌には、「お祝いの言葉」として、鎌倉市長、藤沢市長をはじめとして、各界からの鎌高サッカー部に対する熱い期待が込められています。また、歴代監督、OBからのサッカーへの情熱は、「40周年を迎えて」として掲載されています.この珠玉の提言は当日式典に参加された関係者の中に収めておくだけではあまりにもおしい、との考えからここに提示いたします。これらの言葉は、鎌倉高校サッカー部関係者だけでなく、全ての卒業生、生徒の皆さん、これから鎌高に入学する中学生、そして鎌高以外のスポーツ関係の皆様にも希望と勇気を与えてくれると信じてやみません。

平成6年当時の役職で表記させて頂いています
発刊のご挨拶・・・・・・・会長・・豊島亜彦

お祝いのことば

創部40周年を迎えて

監督・顧問

OB会

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発刊のご挨拶

県立鎌倉高等学校サッカー部は、昭和29年創部以来本年創部40周年を迎える運びとなりました。創部より今日までの40年間、高校サッカーの県大会で優勝をはじめとして、数多くの好成績を残し、県代表として出場した春の関東大会、夏のインターハイ、秋の国体県代表(選抜選手)、そして正月の全国選手権大会と、最高全国ベスト16まで勝ち進むことが出来ました。これは監督をはじめとした本校サッカー部指導者の卓越した指導力と共に、その厳しい練習に打ち勝った現役部員の汗と涙の結果であると考えます。更に、本サッカー部の応援をしてくださった関係する皆様方の熱きご支援の賜物と深く感謝いたします。誠に僭越ながら、本誌上をもって深くお礼申しあげます。今回、創部40周年にあたり、サッカー部の過去の記録の保存と今後の発展、OB会の充実を考え、記念誌の発行と記念式典の開催を計画しましたところ,多くの方々のご協力を得ることが出来ました。誠にありがとうございました。私たちは、この温かいご協賛を礎としてサッカー部の発展の為、益々努力する所存でございます。

平成6年6月26日
神奈川県立鎌倉高等学校サッカー部OB会
会長豊島亜彦

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祝辞・鎌倉市長・竹内謙様

鎌倉高等学校サッカー部が、創部40周年を迎えられましたことを心からお喜び申し上げます。貴サッカー部は昭和29年の創部以来、県大会における幾多の優勝をはじめ、インターハイや全国高校選手権で好成績をあげました。これは選手諸君はもとよりのこと、歴代監督やコーチ、家族、OBたちなど、多くの人々の和の賜のと深く敬意を表します。私も高校時代、サッカーの兄弟競技であるラグビー・フットボールに青春を燃焼しました。15人というもっとも多人数のスポーツを通じて培った和の精神は、私の血となって脈々と流れづけています。鎌倉市は、この豊かな歴史的風土と自然環境を次の世代に伝えていくために今年を環境元年と位置づけ、自然とともに生きる町づくりを進めることにしました。近年、ほころびの目立つ環境のディフェンダーになるのです。いうまでもなく、ディフェンダーは攻撃の起点でもあります。よりよい環境を守るためには,しっかりとした生活基盤整備の攻撃を仕掛けることが不可欠です。環境のディフェンダーを要めの攻撃型チームに育てあげたいと決意しております。鎌倉高等学校サッカー部の益々のご発展を祈念するとともに、皆さんがよき市民チームの一員ともなってくださいますことを期待して、お祝いの言葉といたします。

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祝辞・藤沢市長・葉山峻様

神奈川県立鎌倉高校サッカー部が、創部40周年を迎えられましたことを心からお祝い申し上げます。創部以来、神奈川の高校サッカー界では,湘南の雄として,常にトップクラスの実力を備え、昭和61年の全国高校選手権でのベスト16をはじめ、輝かしい戦績を残されてきたことに、深く敬意を申し上げます。またそのような実績のもとにあって、神奈川のサッカー一の普及と発展のため、高校はもとより少年、中学校、大学、社会人と部門は異なっても、多くの指導者を輩出されているのは、40年にわたる伝統とサッカー部OB会の団結とチームワークによるところが大きいものと思います。日本のサッカーは、念願のワールドカップ出場を惜しくも逃がしたものの、2年目を迎えたJリーグもますます人気が高まるなど、その裾野は大きく広がってきています。鎌高サッカー部からも、Jリーグで活躍する選手が誕生し、現役選手の新しい目標となっていることは、サッカーの技術力の向上と底辺の拡大に、重要な役割を果たしていくものと、期待しているところです。少年サッカーが盛んな藤沢からは,鎌高でサッカーをしたいという子どもたちも多いと聞いております。世界のスポーツ・サッカーは、技術のみならず、豊かなイマジネーション、自立心とチームワーク、勇気と判断力など、様々な要素が求められます。 40周年を契機に、鎌倉高校サッカー部が個性豊かなサッカーを目ざして、いっそうご活躍されることとともに、OB会のご発展と皆様のご健勝を心から祈念して、お祝いのことばといたします。

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創部40周年に寄せて・神奈川県高体連サッカー部長・鈴木中様

神奈川県立鎌倉高校サッカー部が創立40周年を迎えられましたことを、心からお祝い申し上げます。本県では昭和48年度から「高校100校新設計画」を推進し高体連サッカー部も現在は2五0 校を越す大所帯となって来ました。鎌倉高校はそれ以前に20年間、基礎作りの苦労の時代があり、太田先生の努力が実り、その後数々の輝かしい成績を残し、全国高校総体・全国選手権大会、等々全国の檜舞台で活躍してまいりました。湘南地域のレベルの高い環境をバックに、歴代の校長先生はじめ、保護者の皆様方のご理解を得て、顧間の先生,選手、OBが一丸となって取り組まれた結果の賜物だと推察致します。「鎌高サッカー部」の一つのビジョンを神奈川県下、いま日本全国に知らしめた功績に対し、関係各位に感謝申し上げます。さて日本のサッカーも「Jリーグ」2年目を迎え、確かにレベルは上がって来ました。野球に追いつけ、追い越せと、日本経済の力で、素晴らしい外国人選手の技術で「サッカー人気は」オレオーレと舞い上がり、「サッカーくじ」が出来ると益々お客様は増すでしょう。そんな中で高校サッカーは目標を見失わない様に、どうすれば良いのかしっかりと見極めなければなりません。鎌倉高校サッカー部が、この創立40周年という意義深い年を契機として、更に輝かしい歴史を重ね、神奈川県高校サッカーのリーダーとして、益々発展する事を祈念して、お祝いの言葉とします。

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甦れ!鎌高サッカー・神奈川県立鎌倉高等学校校長・・・・・・池田滋様

この度、鎌倉高校サッカー部が創部以来40年の記念すべき年を迎えられたことに、心から祝意を表します。鎌高サッカー部は過去において、輝かしい歴史を積み重ねてこられました。1979年・ 1983年の県総合体育大会(インターハイ予選)における優勝をはじめ県代表として3度の全国大会出場はその最たるものです。又、関東大会等の出場は枚挙に暇がありません。更に今、人気のJリーグのチームの中にも卒業生が存在するという県下での有数の高校サッカーチームであります。これらは歴代の指導者、関係各位、生徒諸君の努力の賜物でありましょう。さて、近年の成績は如何?と間うに、過去の業績に比して残念ながらいささか物足らない、と思うのは私だけではないでしょう。これは本校への入学難も一つの因かもしれません。中学校で経験を積んだ生徒がなかなか入学できないというのは確かです。それに、最近の生徒は以前よりも部活動離れの傾向にあるのも一つの因かもしれません。世は、いわゆるサッカーブームに沸きかえっています。幼年時から志す層が増えています。今年の新入生も入部者が増加していると聞いています。今こそ、昔の栄光を甦らせる絶好のチャンスです。良き指導者,素質ある生徒を得てなお一層精進されて、再び県サッカー界のみならず、全国サッカー界に「鎌高あり」と名を馳せて欲しいものです。創部40周年を迎えた記念すべきこの時、歴史と伝統に恥じない強豪チームの復活を祈念してお祝いの言葉と致します。

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創部40周年記念に寄せて・同窓会「潮会]会長・吉川晴彦様

創部40周年を迎えるを聞いて遠い青春の日の出来事を思い出します。尤も私ばサッカー部員ではなかったが。創部以来の、青春と友情とスポーツ精神は,輝かしいOB諸兄の足跡と共に、脈々と続き、歴史とを伝統を守り育ててきた現役部員の活躍と努力に心からのお祝いを申し上げます。もともと、スポーツとは心、技、体の鍛練であり、進んで申せば、人生に必要な貢献、和、団結等にまで、その本質を堀り下げることができるかと思います。スポーツからは多くのことを学ぷことが出来ます。そして、その最たるものが、青春の高校スポーツでありましょう。プロにないスポーツ精神の純粋性と、その時々の汗と涙の結晶と、正にスポーツの華といえます。見る者に夢と、希望と、感動を与えてくれます。時に涙する人が居りますが、その思いは、人間性の成長に結び付き、原点を観ることにより生命の再生を促してくれます。今や、高校スポーツの頂点に立っのが、サッカーであります。Jリーグの得点王も立派ですが,高校サッカーの、身近な人々を感動させる魅力はたまりません。アシスト。言葉もよいが、行為もよい。貢献であります。勝利者も得点王もすぱらしいが、アシスト出来る選手が、人間が最高だ。高校時代に培った、サッカーを通じての友情と精神で社会に貢献して下さい。鎌高サッカー部の益々の活躍と、OB諸兄のご支援、ご指導あらんことを願って、創部40周年のご挨拶といたします。

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お祝いのことば・鎌倉市サッカー協会会長・松尾英洋様

県立鎌倉高校サッカー部の創部40周年を心からお祝い申し上げます。この40年間、県下の名門校として、数々の実績を残してこられ、部の発展のためご尽力されました代表者をはじめ指導の先生方、ご父兄、後援者の皆様に対しまして、深く敬意を表する次第です。昨年度よりサッカーもプロ化されJリーグが発足し、サッカーに大変人気が出て参りましたことに嬉しく思っております。鎌高出身の選手がJリーグで活躍されておりますし、これからも数多くの選手がプロを目指していられるでしょう。出身の選手が試合に出場しているというだけで、その試合に大変興味を持ちますし、勝ってほしいと願うものです。私も学生時代、又OB戦を鎌高グランドで試合をしたことが懐かしく思い出されますし、サッカーを通じ多くの人達に接する機会を得、指導を受け、また貴重な体験をしました。鎌倉市サッカー協会は現在、少年委員会16チーム、社会人委員会20チームがリーグ戦他大会を開催しておりますが、一番悩みの種はグランドを確保することです。その点では鎌高には立派なグランドが在り環境に恵まれておりますので、皆様の活躍に期待しております。おわりに、サッカー部のますますの発展と皆様のご健勝を祈念しまして、私のお祝いのことぱといたします。

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鎌高出身のJリーグ選手

本吉剛(浦和レッズ-引退-FC東京コーチ)
堀孝史(浦和レッズ-ベルマーレ平塚-引退ー浦和レッズコーチ)
公文裕明(ベルマーレ平塚-横浜FC-引退)

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創部46年”汗と涙、泥まみれの青春”

「神奈川県立鎌倉高等学校サッカー部創部40周年記念誌」(1994.6発行)より
間違いや補足事項がありましたら管理者へメールかこちらまでフリートークボードの掲示板へ記入してください
正確で詳しい歴史を記述していきたいと考えています(特に昭和30年代、40年代の情報を提供してください)

昭和29年   創部
昭和30年   連盟加盟
昭和35年   全国高校大会県予選3位
小田原高校にコイントス負け
昭和40年   新人戦3位
関東大会予選4位 関東大会初出場
昭和41年   新人戦3位
昭和42年   新人戦 準優勝
昭和47年 2月 新人戦3位
  5月 15回関東大会予選 優勝
  6月 全国総合体育大会県予選 3位
  10月 小柴健司 国体県代表(45、46、47、3年連続代表)全日本代表選手
昭和48年 10月 松下哲二 国体県代表
昭和49年 2月 新人戦 3位
  10月 山根孝之 国体県代表
昭和50年 10月 宮治和富、土屋正俊 国体県代表
昭和51年 1月 新人戦 3位
昭和51年 5月 19回関東大会予選 準優勝
本大会出場ベスト8
  6月 全国総合体育大会県予選 4位
  10月 小林繁樹、宮治和富、国体県代表
サッカ-マガジンに本校サッカ-部掲載
昭和52年 1月 新人戦準優勝
  5月  20回関東大会県予選 準優勝 本大会出場
  6月 全国総合体育大会県予選 4位
  10月 宮治和富 国体県代表 (50、51、52、3年連続代表)
  11月 全国高校サッカー選手権大会県予選 準優勝
昭和54年 2月 県新人戦 優勝
全日本ユース代表と対戦
  6月 全国総合体育大会県予選 優勝
  8月 全国総合体育大会出場(滋賀県)
  10月 若林善文、鳴嶋道郎、蔵田広明(全日本大学選抜選手)
神原勇人、田口誠、(国体県代表)
  11月 全国高校サッカー選手権大会県予選 3位
昭和55年 1月 新人戦
  10月 田口誠、桜井範幸、大塚真実、榎本卓司、内藤裕幸、吉田統(6名 国体県代表)
  11月 全国高校サッカー選手権大会県予選 準優勝
昭和57年 1月 新人戦 準優勝
昭和58年 1月 新人戦 準優勝
  6月 全国総合体育大会県予選 優勝
  8月 全国総合体育大会全国ベスト16(愛知県)宇井崇夫大会優秀選手
  10月 宇井崇夫、高橋三津男、田口健吾、国体県代表
  11月 全国高校サッカー選手権大会県予選 優勝
昭和59年 1月 全国高校サッカー選手権大会出場
新人戦 優勝
  4月 関東大会県予選 3位
  10月 神川明彦、山口憲彦、力徳和尚、佐藤欣一郎(国体県代表)
神奈川県代表国体優勝
  11月 全国高校サッカー選手権大会県予選 3位
昭和60年 1月 新人戦 準優勝
  4月 関東大会県予選 3位
  6月 全国総合体育大会県予選 準優勝
  8月 全国総合体育大会出場(石川県)
本吉剛 国体県代表
  11月 全国高校サッカー選手権大会県予選 優勝
昭和61年 1月 全国高校サッカー選手権大会ベスト16
本吉剛、堀孝史、大会優秀選手
  3月 本吉剛 全日本高校選抜ヨーロッパ遠征(オランダ)
  4月 堀孝史 全日本ユース代表
関東大会県予選 3位
  10月 原丈二、堀越淳、国体県代表
昭和63年 8月 サッカ-ダイジェストに本校サッカ-部掲載
  10月 全国高校サッカー選手権大会県予選 3位
平成1年 6月 全国総合体育大会県予選 3位
平成4年 1月 新人戦 3位

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こんな時にはこんな先輩、後輩に相談を

体の疲れがたまった時、鍼灸はどうですか
S44卒 金子武司「金子鍼灸治療院」

歯が痛い、噛み合わせがおかしい方鵠沼海岸の
S51卒 遠見亨「遠見歯科」へどうぞ 
鎌高優待ありです。

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小中高校の教師としてサッカー部を指導しているOB

神奈川県立鎌倉高校
S48卒 小柴健司

神奈川県立湘南台高校
S50卒 新井田尚弘

神奈川県立茅ヶ崎高校
S53卒 宮治和富

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小中学校のコーチで活躍中のOB

鎌倉市立御成小学校「おなりサッカーレパーズ」コーチ
H4卒 薬師寺寛正
H9卒 阿部哲也

鎌倉市立玉縄小学校、植木小学校「玉縄SC」コーチ
S52卒 土屋正俊
玉縄SCのホームページこちらまで

茅ヶ崎市立東海岸小学校「FC東海岸」コーチ
S45卒 北田尚哉
メール連絡先こちらまで

茅ヶ崎市立松浪小学校「松浪FC」コーチ
S45卒 酒井道生
S50卒 溝口三郎

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神奈川県四十雀リーグで活躍中の選手

小田原シーガルズ
S43卒 深田 修

小田原五十雀シーガルズ
S43卒 深田 修

湘南ペガサス
S50卒 溝口三郎
S51卒 遠見亨

連盟加盟外のチームで活躍中の選手

大磯***神奈川県中郡大磯町
S32卒 加藤元治

湘南辻堂***神奈川県藤沢市辻堂
S35卒 豊島亜彦

東海岸TRICERATOPS***神奈川県茅ヶ崎市東海岸
S45卒 北田尚哉

「FC東海岸」コーチ仲間のチーム、メンバーの半分がコーチになってからプレーを
はじめました。第二、第四日曜日、茅ヶ崎市立東海岸小学校にて練習。

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サッカー連盟主催のリーグで活躍中の選手

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OB会員の活躍状況

社会人リーグ、四十雀リーグなどで選手、コーチ、監督として活躍しているOBの情報を教えてください。
小学校、中学校などでコーチをしているOBの事を自薦、他薦で教えてください。コーチング技術や練習試合のネットワークを作りましょう。
サッカー以外にもスポーツ、文化面で頑張っているOBの情報を教えてください。
このホームページの管理者は(北田尚哉(S45卒)kitada@a-net.email.ne.jp)です。

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お祝いのことば・藤沢市サッカー協会会長(神奈川県サッカー協会副会長)・番場定孝様

神奈川県立鎌倉高等学校サッカー部創部40周年おめでとうございます。心からお祝い申し上げ、今回記念式典を挙行されます本校OBの皆様はじめ関係者のご熱意とご努力に敬意を表します。また県サッカー発展のために永年のご貢献を頂載致しましたことに厚く感謝申し上げます。昭和29年創部、30年連盟加盟ということですから、私が高校でサッカーを始めたときが昭和31年で、当時江の電で鎌倉へ行き何度かゲームしたのを憶えております。その後鎌高サッカー部は順調に発展され常に好成績をあげるすばらしいチームになりました。その足跡を見ても、高校選手権出場2回、インターハイ3回,関東大会出場4回などと、昭和61年には全国高校選手権でベスト16を達成されるなど本当にすばらしい歴史が展開されて来ました。このことは単に鎌高サッカーだけのことでなく湘南地区全体の高校サッカーのレベルアップに寄与されたのであります。県下にはサッカー実力校が各地に点在しますが各種大会で湘南学区の高校がいつも最後まで健斗するのであります。そしてその頃ですが小学生サッカーから中高はもとより実業団や一般のクラブチームに至るまで鎌高サッカーOBが監督や指導者に多く就かれていたと思います。こうして色々な意味で鎌高サッカー40年は大きく評価されるのであります。今後も現役の諸兄はがんばって好成績を挙げていただくこと確信しております。同時にOBの皆様のサッカーへのご尽力、これからも賜りたくお願い申し上げご挨拶と致します。

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鎌校サッカー部誕生の頃の想い出・初代監督.鈴木和孝

私が鎌高に赴任したのは、御成町の校舎から現在地に移転した翌年の昭和27年でした。当時の新校舎は山林に囲まれ、校庭は畑のままでした。暫くして整地されたグランドも一 雨降れぱすぐに、ぬかるみという具合でしたが広さと眺望には恵まれ、生徒達は体育や部活動に喜んで汗を流していたのが印象的です。ところで私も小学校の頃からフットボール部に入って球を蹴っていましたので、鎌高にきた時、ぜひサッカー部を創りたいと考え、城所校長にお願いしたところ「予算がないからすぐには無理だが同好会は作ってよい」とのことで早速ゴールポストを購入して下さいました。最初は肝心の選手が揃わず柔道部などからメンバーを集めてルールから教えるようなありさまでしたが、そのうち中学でサッカーをしていた選手も次第に増え、部として出発してから40年。その後のサッカー部の活躍や、 Jリーグの盛況と創部当時を考え併わせると私にとって感概もまた、ひとしおです。

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第2代監督.川崎道夫

そうですか、あれからもう40年が経ったのですか。鈴木先生が創部され,太田先生という素晴らしい顧問兼名コーチが来られるまでの単なる顧間を私はやって来たに過ぎませんでした。現在、体育センター、教育センターが建っている所が昔の善行サッカーグランドで、よく試合があり、上原君達の頃でしたかね、人数が足らなくて、水泳部の生徒を頼んだりしましたね。合宿も大変でした。女生徒に炊事を頼んだり、給食を頼んだり、そうだ、学校の運動場が使えない年があって、自衛隊(武山)の兵舎を借りた事もありましたね。あの頃は工科学校や朝鮮高校の生徒との試合もしましたね、やがて学校のプレハブ食堂を利用して合宿するようになり、相工大、鎌高、新らしい善行のグランドを使っての試合が多くなり、勝てなかった湘南高校にも勝てるようになり、県大会でも上位にいけるようになりましたね。やがて初の関東大会出場。本当に多くの思い出を有難う。

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第3代監督.太田寿昭

『結果を求めず過程を大事に』をモットーに、個性豊かな生徒達の特徴を見つけながらのチーム作り、くる日もくる日も走れ蹴れ、走れ蹴れの厳しい練習、終了の笛、その場にバッタリ倒れ泣き出す者、星空に両手を突き上げ奇声をあげる者,無言のまま引きあげる者、砂浜でのダッシュ,鬼の居ぬ問に楽をしようとして汗ビッショリかき、歩いて足跡をつけたが、後悔先に立たずにバレた者、授業中になかった姿、練習では元気一杯のサッカー狂、灯を求め校舎の中をさまよう練習の虫達、練習をサボる者なし、卒業した今、母校のグラウンドに立ち、何を感じることだろう在職17年の長い間ご支援賜りましたことを感謝いたします。最後になりましたが、創部 40周年のお祝いを申しあげるとともに、OB会の益々のご発展とサッカー部のさらなるご活躍を期待します。

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第4代監督.高木亮

「育つ力、育てる力、育む力」毎日、直向きにボールを追い続ける努力が何事も可能だとの確信する姿を生み、「どうしても」の気力と気迫の目標意識によって高い集中力が発揮され、常に向上しようと育つ力になる。情熱の固まりとも思える菅原,宮代両コーチ、毎年合宿に駆け付けてくれるOB達の献身的指導、授業や学校生活を通じて育てて下さる鎌高の先生方。そして、子供達の成長を願う愛情溢れるご家族の理解。グランド改修の際大変お世話になった近隣の小中学校を始めとする地域の人々の暖かな育み。創部40周年にあたり、多くの方々に深/感謝申し上げるとともに、更なる目標に挑戦し続けたいと思っております。

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平成17年卒

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平成16年卒

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平成15年卒

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平成14年卒

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平成13年卒

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平成12年卒

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平成11年卒

鈴 木 望
深 田 修 平
町 田 亮 太
小 林 洋 介
鎌 田 隼 人
山 田 直 矢
御園生 薫
石 川 幸 次
庄 俊 夫
芦 田 新 作
谷 口 智 規
樋 野 心
藤 井 元 子

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平成10年卒

山 岸 夏 樹
永 木 卓
川 名 将 斗
中 原 宏
中 村 浩 隆
長 村 和 彦
金 子 淳二郎
丸 田 裕 麻
清 水 啓 介
野 田 昌 志
山 川 太 郎
橋 本 敦 郎
木 山 圭 悟
白 木 義 隆
二 宮 直 彦
和 田 裕 明
阿 部 有
板 倉 貞 志
小 山 哲 哉
*中 尾 栄 仁
*中 山 好 彦
深 沢 将
藤 田 洋 亮
稲 見 真 輔
上 夷 聡 史
小 柳 洋 太
澤 内 洋 介
保 科 智 久
永 田 武 志
小 山 朝 子

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平成9年卒

高 垣 博 一
阿 部 哲 也
*大 沼 一 宏
紺 頼 佑 介
塩 田 隆 佑
*内 田 悠 司
佐 藤 武 司
清 水 理 登
*宗 田 淳一郎
江 戸 聡一郎
小 村 睦
吉 田 直 樹
林 考 弘
畔 原 久 子

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平成8年卒

杉 戸 一 麻
魚 谷 知 道
近 藤 真 人
斉 藤 森
福 嶋 裕 太
藤 橋 賢太郎
前 山 和 久
池 田 拓 郎
大久保 理
本 橋 仁
橋 口 圭
原 口 隆
曲 渕 正 和
町 田 雄 平
吉 田 一 臣
阿部川 友 洋
寺 本 繁 樹
畑 尾 拓
金 井 美希子

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平成7年卒

秋 元 進 吾
奥 村 智 英
御園生 賢
占 部 宏 生
大 沼 聡
中 根 里 央
波多野 祐 介
上 川 龍太郎
佐々木 祐 介
添 田 淳
富 田 大 介
長谷川 博 司
樋 口 康 博
真 板 亮
伊 藤 正 和
武 田 哲
山 本 忠 宏
木 村 夏 季

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平成6年卒

*池 田 幸 司
北 村 洋 一
*吉 田 尚
桜 野 和 正
丸 山 浩太郎
矢 島 敬 志
滝 山 陽 生
*小 野 直 樹
笠 原 寛
川 名 秦 斗
竹 原 知 史
萩 野 健 二
樋 本 貴 之
吉 田 太 郎
磯 部 寛 之
玉 井 建 介
横 溝 達 平
安 井 里 美

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平成5年卒

岸 枢宇己
大 石 智 之
鏑 木 武 志
谷 崎 閑
新 田 宣 輝
山 本 寛 之
里 見 宗 彦
林 裕 輔
松 田 高 志
山 本 亮 児
佐 藤 琢 也
星 野 有 治
松 延 将 生
松 本 高 弘
吉 田 康 博
玄 番 登史江

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平成4年卒

守 屋 良 彦
渡 辺 正 直
斎 直 樹
栖 本 成 雄
大 原 卓 也
二 見 剛
中 沢 豊
薬師寺 寛 正
川 畑 稔
広 瀬 直 樹
三 角 賢 司
青 木 雅 史
鈴 木 信 也
*野 村 朋 聡
石 井 早 苗

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平成3年卒

*垣 見 崇 之
木 村 達 夫
桜 井 渉
中 村 明
岸 下 健 一
青 塚 敏 治
市 橋 大 輔
坂 井 望
*榊 剛 史
杉 浦 洋 介
錦 織 勲
浜 田 憲 明
本 間 知 宏
三 嘴 康 弘
宮 内 憲
池 本 敬 邦
藤 曲 潤一郎
*横 張 美 穂

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平成2年卒

手 塚 順
山 田 剛
渡 辺 直
岸 未希亜
郷 原 正 人
福 田 淳
森 屋 光 夫
飯 田 康 夫
池 田 顕
佐 藤 深 大
宮 川 久 史
宮 代 保 之
*石 原 通 治
乙 黒 留美子

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平成1年卒

*松 岡 洋一郎
白 熊 慎 吾
綾 目 大 輔
益 子 浩
石 井 享
公 文 哲 夫
原 成 男
大 沼 健
門 倉 洋
川 島 稔
鈴 木 聡
平 石 宣 博
大 西 雄一郎
小 泉 禎
福 島 幹 之
*森 隆 之
島 雄 大 介
*宮 崎 由紀子

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昭和63年卒

*中 山 康
*伊 藤 淳
斉 藤 充
林 健 二
*祷 陽一郎
桜 井 新 一
庄 野 元
大 西 克 智
大 沢 武 広
加 藤 啓 之
坂 本 和 章
田 中 隆 行
長 尾 誠 二
長 崎 誠 司
西 山 良 一
波多江 一 真
山 本 利 広
渡 辺 英 樹
尾 高 賢 司
倉 橋 裕 直
横 田 隆 一
田野岡 亜由子

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昭和62年卒

原 丈 二
横 山 茂
長 峰 哲
横 川 顕太郎
磯 考 亘
小 沢 順 一
河 合 克 也
田 原 大
中 島 豊
中 村 保
堀 越 淳
近 藤 元
広 田 真 一
吉 原 聖 雄
森 田 孝 一
岩 渕 薫

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昭和61年卒

久 保 岳 彦
堀 孝 史
小 野 道 生
川 原 寛 介
林 宏 一
和 田 治
加 藤 和 彦
菅 原 圭 也
田 中 尚 人
松 延 聡
安 斉 佐
本 吉 剛
*沢 香 織

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昭和60年卒

*網 代 英 薫
*井 上 成 士
公 文 裕 明
渋 谷 智
*林 浩 一
力 徳 和 尚
神 川 明 彦
飯 窪 光 徳
大 岡 久 誉
加 藤 芳 隆
*佐 藤 欣一郎
竹之内 敦
辻 政 彦
戸 出 徹
布 川 透
山 口 憲 彦
飯 塚 健一郎
寺 本 浩 之
横 田 稔
中 島 浩 一
小 原 陵 子

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昭和59年卒

*相 曽 靖 彦
*落 合 智 之
小 西 龍 一
*田 口 健 吾
泉 頭 太 郎
石 川 貴 章
吉 村 元 宏
加 藤 千 明
宇 井 崇 夫
高 橋 三津男
田 崎 悌 彦
平 出 善 男
山 口 泰 弘
山 寺 秀 明
昆 野 穣
鈴 木 康 彦
村 上 知 子

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昭和58年卒

*川 本 修 治
榊 和 彦
大 橋 重 人
小 菅 康 敬
臼 田 誠
川 辺 圭 二
富 山 真 樹
岡 村 昌 彦
片 平 じゅん
前 田 匡 宣
井 上 昇
小木曽 仁 美

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昭和57年卒

市 川 幹 朗
吉 田 統
川 辺 正 弘
鈴 木 良
鳴 嶋 吟 子

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昭和56年卒

*田 口 誠
*吉 川 克 彦
*永 富 徹
*内 藤 裕 幸
野 地 喜 徳
古 橋 規 尊
榎 本 卓 司
大 塚 真 実
鎌 田 正 人
桜 井 範 幸
笠 井 敦 志
塩 野 一 裕
福 井 みさ子

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昭和55年卒

*高 見 学
*山 本 淳
*若 林 善 文
神 原 勇 人
*蔵 田 広 明
鳴 嶋 道 郎
米 山 朗
高 橋 信
植 木 亮
河 野 陽一郎
戸 向 博 子

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昭和54年卒

石 井 善 美
鈴 木 新 也
水 越 将 之
良 峰 誠
米 山 博
*小 倉 毅
神 津 隆
丸 山 毅
永 田 哲
上 野 雅 行
前 橋 勇
清 水 吉 賢
山 下 まゆみ

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昭和53年卒

新 井 浩
山 口 健太郎
兼 松 稔
関 谷 文 人
宮 治 和 富
山 口 靖 彦
福 嶋 更一郎
井 場 令 子

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昭和52年卒

*宇 藤 敏 高
*小 林 貞 人
*近 藤 誠
*戸 嶋 亜 行
*掘 川 吉 夫
小 林 繁 樹
奥 田 啓 司
土 屋 正 俊
一 柳 善 郎
伊 藤 哲 夫
今 里 尚
内 田 透
宮 沢 博 子
眞 玉 佐和子

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昭和51年卒

*坂 本 慎 治
*大 浜 秀 一
*梶 原 雄一郎
*田 中 二 郎
*近 藤 浩
遠 見 亨
高 木 亮
山 田 浩 司
*常 松 彩 子
阿 部 孝 子

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昭和50年卒

山 根 孝 文
中 島 裕
広 岡 経 興
瀬 下 忍
新井田 尚 弘
溝 口 三 郎
猪 又 和 仁
*今 井 敬 子

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昭和49年卒

*長 田 宏 隆
城 尾 暁
松 下 哲 二
田 村 豊
竜 野 強
力 石 祐 次
辻 章 雄
阪 井 宏
西 洋 一
中 島 直
太 田 正 美
橋 本 祐 治
伊 藤 有 子
永 松 はるみ

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昭和48年卒

飯 塚 豊
石曽根 清 次
臼 井 亮
内 田 和 男
小 柴 健 司
後 藤 雄 二
俵 一 郎
辻 博 久
*西 江 直 和
藤 田 温 久
松 本 耕 一
山 辺 勝 弘
*吉 沢 富美男

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昭和47年卒

*石 神 春 彦
細 谷 秀 樹
山 添 裕 史
*吉 田 尚 一
小 坂 雄四郎
*土 谷 栄
畑 山 一 郎
端 原 友 子

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昭和46年卒

*井 上 孝
*小 林 潤
*斎 藤 秦 長
*下 田 垣 夫
*豊 島 英 二
*新 倉 昌 平
*本 田 明
田 端 和 男
池 田 英 康
石 渡 秀 和
福 島 保 正
松 本 芳 夫
金 田 育
大 貫 哲 雄
和 田 永一郎
坂 部 恭 三
永 井 弘 一
丸 山 貞 之
和 田 直 樹
川 野 博 史
酒 井 菜穂子
東 淳 子
野 崎 富士子

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昭和45年卒

松 野 信 和
宮 野 尾 雄 司
吉 岡(関野)謙
高 橋 直 也、
南 条 滋
*小 柴 昌 弘
*館 山 貴 之
*羽 太 芳 明
三 枝 健 蔵、
広 田 進 弘
酒 井 道 生
北 田 尚 哉
今 井(橋本)真 知 子

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昭和44年卒

*椎 名 正 人
秋 山 洋 治
金 子 武 司
*成 松 卓
内 田 和 男
田 崎 秀 昭
藤 浪 (白倉) 克 己
*安 田 美枝子
山 口 千 景

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昭和43年卒

桜 井 信 夫
新 名 俊 次
松 村 栄
宮 下 正 美
久 宗 大 介
干河岸 洋 一
深 田 修
大 関 路 将
岸 満
山 田 明
露 木 悦 夫
高 阪 明 子
荻 原 洋 子

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昭和42年卒

中 山 清 志
塩 沢 幸 一
長谷川 清 志
大 沢 和 夫
*小 野 工
小 泉 繁 雄
新 井 純 子
稲 垣 めぐみ
中 村 典 子
関 根 由美子

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昭和41年卒

実 方 剛
安 田 謙 一
金 子 仁
市 村 雅 弘
深 沢 隆 史
駒 崎 慶 夫
浜 野 正 明
安 宅 仁
熊 沢 敏 一
中 田 正 夫

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鎌高サッカー部の伝統・OB会 会長 豊島亜彦

昭和32年4月、鎌高に入学すると、中学時代の先輩から柔道部かサッカー部に入れ、と云われ、その場でサッカー部入部が決定しました。当時は11人揃えるのがやっとで、普段の練習は7~8人だったのを覚えています。翌年、新入生が7人位入部し、翌々年は、10人位の入部があり、私の3年の時は20人位になりました。その間、相当に厳しい練習を続けた結果、県大会でベスト8、準決勝進出と厳しい練習の成果が実ってきました。卒業後も現役の練習ぷりを見に母校を訪づれました。そこで同じように厳しい練習をしましたが、関東大会県代表、新人戦準優勝という結果に、後輩たちの日々の努力に大いに喜びました。サッカーはもとより、スポーツは頭で考えた事を身体が実行しなければなりません。それには強くたくましい身体にする必要があります。身体は一気に強くはなりません。毎日毎日が大切です。計画をしっかりとたて毎日の練習が無駄にならないように,部員一人一人が日々努力することです。

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昭和40年卒

*富 田 康 弘
伊 藤 哲 郎
菅 原 健 吉
新 保 恵一郎
小 菅 悦 男

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昭和39年卒

*関 口 義 雄
気 賀 純 夫
寺 田 文 哉
丸 山 淳
前 田 欣 則

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昭和38年卒

*長谷川 全
松 田 浩 次
大 前 潔
徳 永 正 和
中 里 俊 郎

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昭和37年卒

*上 原 保 裕
*片 山 直 文
*太 布 昌 男
岡 廣 昭
浦 田 廣 義
石 渡 昭

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昭和36年卒

*石 井 紳 吾
国 兼 秦 信
田 村 春 夫
高 木 博
吉 村 昭 三

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昭和35年卒

福 原 徹
豊 島 亜 彦

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昭和34年卒

*小 川 隆 生
*鈴 木 敦 雄
中 村 邦 基
志 村 慶 文
加 藤 寿 之
平 牧 龍 郎
近 藤 敏 明

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昭和33年卒

*中 野 卓 夫
松 中 秀 司
野 田 力
高 橋 弘 俊
加 藤 久 明
橘 田 栄
*藤 田 修 身
中 野 明 夫

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昭和32年卒

*市 村 和 洋
小 田 尚 典
安 斉 博 彦
鶴 見 侑 久
加 藤 元 治
並 木 敏 夫
高 井 教 雄

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昭和31年卒

いらっしゃいません

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昭和30年卒

*小 栗 竜 二
菊 岡 宏
佐 伯 政 英
永 井 秀 夫

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物故者

昭和33年卒 多田 勝
昭和42年卒 角田雅良
昭和45年卒 酒井 彰
昭和45年卒 上田(阪田)光子
昭和49年卒 森本晋介
昭和55年卒 上野 章

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特別会員

鈴木和孝
川崎道夫
太田寿昭
安田喜三郎
西浜吉晴
曽原隆三
池田尊
高木比呂志
山崎聡

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栄光のOB会員名鑑

氏名の前に(*)の付いた方の住所が不明です。
ご存知の方は、北田尚哉(S45卒)kitada@a-net.email.ne.jpまでメールでお知らせください。
プライバシー保護のため住所等は掲載しておりません。同窓会などの連絡のため、住所を確認されたい方は、身分を明らかにして頂いた後、ご本人の了解のもとにお知らせいたします。

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鎌倉高校OB会会則

平成18年3月25日

神奈川県立鎌倉高校サッカー部OB会会則

(名称)
第1条 本会は神奈川県立鎌倉高校サッカー部OB会と称する。

(目的)
第2条 OB会会員相互の親睦をはかるとともに現役チーム発展に寄与することを目的とする。

(会員)
第3条 本会会員は次に掲げるとおりとする。

 第1項 神奈川県立鎌倉高校サッカー部 卒業生で構成する。
 第2項 本会の趣旨に賛同し、本会の活動に積極的に参加する個人、法人を幹事会の推薦の上会長の承認を得て会員とする。
 第3項 歴代監督および顧問

(役員)
第4条 本会に役員を置く。
会長:1名 副会長:若干名 幹事長:1名 副幹事長:若干名 会計:1名 会計監査:1名 幹事を置く。

(役員の選任及び任期)
第5条 会長、副会長、幹事長、副幹事長、会計、会計監査は正会員の自薦、他薦により選出し総会にて承認する。幹事は幹事長が選任し会長が承認する。役員の任期は1年とし、再選を妨げない。

(役員の任務)
第6条 会長は本会を代表し会務を統括する。副会長は会長を補佐し会長の委任があった場合はこれを代理する。幹事長は会長を補佐し幹事会を円滑に運営する。副幹事長は幹事長を補佐する。会計は本会の会計全般を統括する。会計監事は会計監査に当たる。幹事は幹事会を構成し本会の運営に当たる。

(幹事会)
第7条 本会に幹事会を置く。

 第1項 幹事会は会長、副会長、幹事長、副幹事長、会計、会計監査、幹事によって構成する。
 第2項 幹事会は神奈川県立鎌倉高校サッカー部OB会の運営を行う。
 第3項 幹事会の中にホームページ運営委員会を設置しこの運営に当たる。

(退会)
第8条 会員は自己の都合により本会を退会することができる。但し退会届を幹事長宛に提出し、会長の承認を必要とする。

(会計)
第9条 本会の会計年度は毎年1月1日から12月31日までとする。

(会費)
第10条 本会の会費は年会費とし、一口につき5,000円、一口以上とする。
但し学生は一口2,000円とする。

(総会)
第11条 総会を開催する。

 第1項 定時総会を年一回、会長が招集し開催する。
 第2項 重要事項が発生したとき会長は臨時総会を招集、開催する。

(慶弔規定)
第12条 慶弔に関しては幹事会に一任する。

(事務局)
第13条 本会の事務局は 〒248-0026 鎌倉市七里ガ浜2-21-1 鎌倉高校サッカー部内に置く。

(その他の事項)
第14条 その他の重要な事項はその都度幹事会にて協議し会長の承認の許に議決する。

(付則)
この会則は昭和46年3月21日から効力を生じる。
平成11年3月21日改訂
平成18年3月25日改訂

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鎌倉高校OB会役員

会 長
加藤 元治
(S32卒)
加藤元治
副会長
豊島 亜彦
(S35卒)
豊島亜彦
吉村 昭三
(S36卒)
吉村昭三
石曾根 清次
(S48卒)
幹事長
深田 修
(S43卒)
深田修
副幹事長
北田 尚哉
(S45卒)
(HP・名簿担当)
北田尚哉
高木 亮
(S51卒)
神原 勇人 (S55卒)


Sakakibara_s55
会計
前橋 勇
(S54卒)
会計監査
深沢 隆史
(S41卒)
深沢隆史
幹事
浜野 正明
(S41卒)
Hamano_s41
大関 路将
(S43卒)
大関 路将
荻原 洋子
(S43卒)
Ogiwara_s43
遠見 亨
(S51卒)
幹事
大塚 真実
(S56卒)
本吉 剛
(S61卒)
菅原 圭也
(S61卒)
宮代 保之
(H2卒)
幹事
石原 通治
(H2卒)
桜井 健丞
(H12卒)

<事務局>
神奈川県立鎌倉高等学校 サッカー部内
〒248-0026
鎌倉市七里ガ浜2-21-1
TEL 0467-32-4851

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創部40周年を迎えて・OB会名誉会長加藤元治

このたび、わたくしたちの母校、県立鎌倉高等学校サッカー部の創部40周年を迎えることができ、諸先輩および関係者の皆様方に心からお礼を申しあげます。わたくしが、県鎌に入学しましたのが昭和29年、当時すでに諸先輩たちが、サッカー同好会として活動していました。そして、昭和30年(1955年)第10回国民体育大会神奈川県大会が開催された年に、県内17校目として高体連に加盟登録をいたしました。その後、幾多の試練をのりきって、後輩OB諸氏が数々の立派な実績を積み重ねて、“ 県鎌サッカー部"の伝統を作ってくれて現在に至っています。現役の諸君も、今日からより一層の努力をして、創部50周年を迎えるまでに、新しい伝統と歴史をつくるスタートをきってくれるよう期待しております。

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負けても青春・汗して青春・OB会副会長吉村昭三

青く澄みきった湘南の海、富士山を眺め、江ノ電が走る…鎌高。ボクにとって、青春はこの母校であり、サッカーである。・入部草々、いきなり試合(たしか9名)、先輩の名前と顔が一致せず、5対0で負けてもロング(先生)からよくやったと言われ。抽せん会へ行けば、対戦校から喜ばれる。・初の合宿一一先輩の方が人数が多い日も。宿は竜口寺、急な階段一一キツイの一言。・豊島・福原両先輩の献身的な努カ(特訓&特訓)により、レベルアップ。年に何回強化合宿・練習があったか、小雨の中での七里ケ浜でのダッシュ。ベスト8に残った時は感激。「3年の時は第3位。」“今日への第一歩"と勝手に誇りを持っている。・卒業後は、水曜と土曜日はコーチ役??(“大学が東京なのに、他にやることないのか"と後輩の声があったとか) ・今や、サッカーの名門校。後輩諸君、ぜひ鎌高らしい心と技を磨いて欲しい。

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逆光の中の男たち・S34年卒平牧龍郎

鎌校でのサッカーとの出合は窓の下からの「このクラスに平牧はいるか。」のひと声から始まった。窓の下にはバラバラなトレーニングウェアを着た先輩達が上を見上げ「にらんで」いた。窓から顔を出し返事をすると「明日から練習に来い」と言われ思わず「ハイ」と返事をしてしまった自分。その一言が3年問の涙の歴史の幕開けになるともしらずに。翌日グランドに出ると、なんとはるかかなたのグランドの南の端、逆光の中で男達のボールを蹴る姿は美くしくもあった。しかしであるそこはなんと豚舎のとなりで豚の声と臭いで現実とのギャップを感じたものである。春にはクローバーの褥にだかれ、夏には潮風に包まれ秋には裏山の紅葉と、自然につつまれた中で、数少い勝利の記憶が何年たっても心地良い青春の思い出となっている。きっと諸君の心の中にもあのグランドの南端の逆光の中に友情と涙と青春の思い出が凝縮していた事を今も記憶されていることと思う。

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30年前もサッカーブーム・S41年卒浜野正明

入学の年は、18連敗のスタートだった。回りからの冷やかし、失笑にもこりず,笑顔で出かけて行く明かるいチームだった。今から30年前は、第1次サッカーブームの中の高校時代だった一東京オリンピック(S 39)日本リーグ開幕(S40)サッカーマガジン創刊(S41)一しかし、現実はキック&ダッシュのなごりがあり、夏の合宿では、やさしい(?)先輩によく走らされた。千本ノック並みの蹴り返しもあり、体力、スタミナの勝負だった。誇れる事は、3年の夏、初の県外大会となる関東大会出場を果したことで、女子マネージャーも一丸となり臨んだ結果だ。浦和西高との泥中戦は、話題に事欠かない。ただ、夏休み前半をサッカーに費やし、後の人生を狂わせた人も出たようで、少々責任を感じている。我々同期10名は、年1回の集まりを続けているが、いっときの苦しみが支えとなっている。

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「ペナルティキック」・S48年卒小柴健司

今でもはっきりとあのシーンがよみがえってくる……。ついに同点にするチャンスがやってきた。PKだ。蹴るのは誰だ?ベンチを見る。私に行けと指示している。気持ちは不安で揺れ動く。「蹴りたくない」「絶対に決めなければ」「はずしたらどうしよう」さまざまな事が頭の中を次々にかけめぐる。ボールセット、キーパーがやけに大きく見える。「どっちに蹴ろうか?」左足で蹴ったボールはゆっくりとキーパーの腕の中に吸い込まれていった。関東大会1I回戦、東京代表私立城北高校に2-0で完敗する。あのシーンは決して頭から離れない。サッカーを続けてきたが、あれほど緊張した事は後にも先にも記憶がない。ただしこの経験がその後の私のサッカーを支えてくれた出来事であった事に間違いない。現在、教員としてサッカー指導しているが当時のメンバーで良く代表になれたと思う。あのチームをまとめた太田先生の偉大さを感じるとともに、あらためてご指導いただいた先生に感謝したい。

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インターハイに出場して・S55年卒神原勇人

15年前の8月,気温35℃を超える暑さの滋賀県で、大分工業高校にO対3と惨敗し私達のインターハイは幕を閉じました。何もかもが初めての経験の中、自分達は一生懸命戦ったと思ってもなぜかくやしさが残る試合でした。ただ、素晴らしいチームメイトと晴れ舞台に立てたことは、私の今までの人生の中でも最良の時間だったと思っています。当時は,負けたことばかり心に残っていましたが,何年か経ち後輩達がまた全国大会に出場するようになり,15年前のインターハイが鎌高サッカー部の新しいぺ一ジを開き、後輩達の活躍のステップになったのではないかという喜びと、その一員に自分がいたことへの誇りを強く感じるようになりました。現役選手達には、私達が出来なかった新しい鎌高サッカー部の歴史を築き上げてくれることを期待しています。

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全国大会の思い出・S59年卒平出善男

私にとって「全国大会」という言葉は大変に大きな目標であり,夢でした。そして全国大会に出場することは憧れていた先輩方を越えることであり、鎌高サッカー部にとって新しい歴史を作ることでもありました。名古屋で行われたインターハイでは自分たちのどこにそんな力があったのかと思うほどの試合で3回戦まで進出しました。選手権大会では出場を決めてから1回戦で敗退するまで取材・抽選会・国立競技場での開会式・大声援などすべてが夢の中のようでした。あれから10年もの月日が過ぎ、Jリーグなどでサッカーの位置付けも少しづつ変わってきた現在ですが、私にとって「全国大会」という言葉は今でも特別な響きを持った特別なものであるように思います。

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全国大会の想い出・S61卒菅原圭也

今振り返ってみると、全国大会までの道程は、遠い道程だった。優勝までには、藤沢西、相工大、旭といった強豪を破らねばならなかった。私が経験した最初の全国大会は、石川県で開催された高校総体である。県内の代表決定戦では、前年選手権出場の藤沢西をPK合戦の末、勝利を手にした。遠征気分だったせいか、移動中、宿舎でとはしゃいでいた。裏をかえせば、緊張していたせいかもしれない。緊張をやわらげるため、監督にいわれ、試合直前サブグランドの土手で校歌を歌わされた。その時の風景、一面の日本海、すばらしい青空が広がっていた。試合の相手は、奈良の大淀。結果は完敗だった。宿舎で本吉がいった「俺らは全国では無名なんだ」という言葉が印象的だった。夜中に宿舎を抜け出し、田んぼの真中で蛍を見ながらビールを飲み次の目標へ再出発を誓った。 2度目の全国大会は、正月の高校選手権である。県内の代表決定戦は旭、これもまたP K合戦の末の勝利だった。新聞,雑誌と高校総体とは違った盛り上がりをみて、またも私ははしゃぎ過ぎて、試合1週間前に体研で監督より一発くらった思い出がある。今回は前回とは違い、全国大会での勝利が目標であった。一回戦岡山の作陽、右ウイング田中の一生に一度というすばらしいセンターリングを林がゴールして勝利。二回戦福岡の東海大第五、堀のすばらしいゴールで勝利。三回戦相手は優勝した清水商、ジェフの江尻、エスパルスの青島、真田とそうそうたるメンバーが揃っていた。また、前日の試合で本吉は額を6ハリ縫っての出場。摂氏零度と最悪のコンディションだった。シュート22本、まさにキーパー練習のような試合だった。これが私の高校最後の試合、しかし負けたくやしさよりやりとげた充実感で胸が一杯だった。後童の全国大会での活躍を信じ、三ツ沢のグランドをあとにした。 2回もの全国大会の出場は,堀、本吉という2人のJリーガーがいれば当然だったかもしれないが、3年間の間には、この文面で語りつくせないドラマがあった。部員一丸となり、努カした結果がもたらした奇跡といっても過言ではない。最後に、家庭を犠牲にして私たちを全国大会へと導いてくれた太田監督、高木先生がいればこそおきた奇跡であると付け加えたい。

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